北浦発たなご通信9〔あすか釣狂人〕

店主の独り言

釣聖と云われる人がいる・・・西洋では「釣魚大全」の著者として有名なアイザック・ウォル
トン
()であり、日本では幸田露伴であろう。
なぜ、彼らが釣聖と称されるのであろうか・・・無論、釣ることに対する真摯な姿勢が評価さ
れてのことに相違ないが、ただ単に「釣果」だけが釣り師を評価する尺度ならば釣聖と呼ばれ
てもおかしくない釣り師は他にも沢山いる。

いまさら云うまでもなく、「釣魚大全」は初版以来400年を経た今日でも世界中で読まれてい
る釣本のバイブル的存在であり、露伴の「幻談」は他の追従を許さない釣り文学の最高傑作と
云われている。じっさい何度、読み返しても魅入られたようにぺ−ジを重ねる心地よさは、大
文豪ならではの冴えがもたらす至福のひと時である。

洋の東西の釣聖が、大陸にしがみ付くような形である日本とイギリスという小さな島国に存在
し、王制と天皇制という体制の共通点、さらに食料採取を第一目的としないタナゴ釣りとフラ
イフィシィングというゲ
-ム性の強い釣りを開花させた文化的背景・・・偶然という一言でか
たづけるには得心し難いものを感じる。

少し前の話しになるが、フナ釣りで有名な場所で泰然とした老釣り師にあったことがある・・
・・その時わたしは、老釣り師の傍らにある水箱が目に止まり「見たい」の一心から邪魔を承
知で挨拶をして近づき訳を言って無遠慮にも水箱を拝見させて頂いた。

三日月に吼える狼を彫刻した水箱は、いかにも素人細工を思わせる仕上げであったが老釣り師
の遊びごころを具現化した好ましい作品に感じた。価値観の共通点が多い人との語らいは楽し
く、つい長居してしまったわたしは非礼を詫びて腰をあげようとした時、並べ竿をしてある中
の一本にアタリがあった・・・話し込んでいる間、ピクリともしなかった不調の原因を察して
いた私は、救いの意味も含めて「あたった
!」・・・私の声にも老釣り師は全く泰然として「
そう、あたりましたね・・・」が、老釣り師の右手は動くことはなく目線だけがシモリのアタ
リを楽しんで見ているように覗える。

「わたしはアタリがあったら、それで釣れたことにしているんですよ」
「・・・・・」
「もう、十分に歳をとりましたからね・・・疲れないように頭の中で釣りをしているンです。」
そう云ってチラッと私を見て微笑んだ老釣り師は、また視線の先をシモリに転じたのである。
彼の言動には老い衰えていく寂しさなどというものは微塵もなく、そこには風景の点描と化し
た枯淡の釣り師が漂として佇んでいるだけであった。

そういえば見せていただいた水箱も最近、水を張った形跡がなかった・・・それを釣れないせ
いだと勘ぐった私と、老釣り師との心境とでは天と地ほどの差がある。

「お邪魔いたしました・・・」
自然と頭を下げた私は、心地よさにうしろ髪をひかれながら辞した。以来、親交を重ねて頂い
てるが、最近では私の夢に共感を覚えて下さり庭に柳の木をたくさん挿し木してくれている・
・・店から望む北浦湖岸を茶をすすりながら二人が見ている幻影は、点在する遊行柳の木陰の
下で遊ぶ釣り師や親子連れの姿である。


                       2007年、春  江戸釣趣 あすか 亭主

戻る